カテゴリー: つぶやき

  • マアト女神

    古代エジプトの神話に、“マアト”という女神がいます。

    古代エジプトには神様がいっぱいいるのですが、私はこの女神さまがとても好きです。

    “マアト”は場面に応じて「秩序」、「真理」、「正義」などと訳される言葉なんだそうで、古代エジプトの人たちは、そうした概念自体を神様にしたわけなんですね。

    例えばナイル川が氾濫を起こすとか、干ばつで作物が育たないとか、そういう悪いことが起こると、マアトに背いた行いをしたからだと考えたわけです。

    自分の日常の行動で自然災害が起こるっていうのはちょっと大げさですが、でも私は、人はみんな、マアトのなかに存在してるんじゃないかな、と思っています。

    つまり、宇宙の営みの「秩序」の一部として必要だから存在しているんじゃないでしょうか。人ひとりは本当にちっぽけな存在ですが、どんな人もきっと生まれてきたからには、この「秩序」を守るなんらかの役割があるはずなのです。

    その役割が何なのか、神様は簡単には教えてくれない。

    だから、私たちはそれを探してすったもんだするんじゃないでしょうか。

    きっとその役割にうまくはまったなら、生きやすくなるのかもしれないですね。

    自分の“マアト”は何だろう。

    私もまだすったもんだの最中ですが、それが何だろうと考えると、いろんなことがうまくいかなくても、少しだけ勇気が出るのです。

  • バーサス・アルコール

     空気を読めよ・・・私は昔から空気をよむのが苦手というより、逆に空気をぶち壊すのが得意である。ふだんはなんとか大丈夫なのだが、酒が入るとうまく調整ができなくなってしまう。酒席での失敗をしてきた人にはわかるだろうが、ふだんはかなりの不満をためこんでいる。人の何倍も何倍も。酒の勢いでそれがロケット噴射するのだ。恐るべきロケット燃料。

     

    酒飲みの口癖は「自分は酔っていない。まだ大丈夫だ」「明日は休肝日にしよう」・・・挙句の果ては「もう禁酒する」。そんなところだろう。ところがどっこいアルコールというのは合法的な依存薬物である。そんなに簡単に絶てるものではない。テレビをつければ数本に一本はアルコール飲料のコマーシャルである。町のコンビニでは24時間アルコールが手にはいる。そんな環境でどうやって酒を断つ?

    精神科の外来では抗酒薬というジャンルの薬がかなり昔から使われてきた。事前に服用することで、人為的に極度の下戸を作り出すのだ。下手をすれば洋菓子に含まれている微量のアルコールでさえ吐き気を催すほどの効果がある。一見するとこれはとても効果がありそうな治療薬であるが、結局は服用しなくなる。理由は明快、あまりにも劇薬すぎて恐ろしくて飲めないのだ。

    数年前から断酒した人向けに、断酒の意思を継続するための断酒補助薬なるものもひろく出まわるようになった。これはアルコールを少量でも飲み続けている人たちにとっては、ほとんど効果はないといっていい。あくまでも断酒していることが大前提なのだ。医師によっては減酒の気やすめとしてこれを処方する場合もあるが減酒効果はない。

    最近はとうとう減酒薬なるものまで登場してきた。節酒ができるというのがうたい文句であるが、これはすべての精神科、心療内科医が処方できるわけではなく、アルコールの専門医を標ぼうするもの、または専門の講習を受けた医師でなければ処方できない。処方はしてあげたいけれど、講習をうけてないから申し訳ないと言い続けている先生も知り合いにいる。

    結局、アルコールをやめる方法は何か。一時的にやめるならばまず入院することだ。問題行動をおこすようであれば迷っている余地はない。お勧めは入院の一択だ。断言しよう。自力でアルコールをやめることは絶対に不可能だ。

    しかし、退院後どうやって断酒を続けていくか。それはあなた次第である。断酒会やA.Aなどに所属して体験者と話を共有するのもいいだろう。仲間がいれば脱落の確立は多少、低くなる。が、最後は自分の意志の力であるのは間違いない。元の道に戻ることは恐ろしくたやすい。赤子の手をひねるよりもはるかにたやすい。

    アルコールは超依存性のある完全合法薬物であるのだ。もちろん適度にたしなめているうちはもちろんいいだろう。「酒は百薬の長」なのだから。しかし、一線を越えてしまうことが続くようになったときから、長い長い闘いが始まる。

    そしてそれはどこでも簡単に手に入る。あなたは生きている限りそれを我慢しつづけなければいけない。精神的な渇望と肉体的な渇望と。そしてこの闘いは肉体が滅びるまで永遠に続くのだ。

  • こぶしはとてもかたいのに・・・

    正月、飲みすぎて家の壁に穴をあけてしまった。といっても何か特別なことをしたわけではなく酔ってボクシングの真似をしていたら目測を誤って、本当に壁に当たってしまっただけのことである。私は格闘技の経験者でもなく、ふだん拳を鍛えているわけでもないのだが、内壁はもろくも崩れ去り、赤ん坊の頭大の穴がぽっかりとあいてしまった。

     妻は怒りを通り超していたのだろう、せせら笑うように「どうするの?弁償してくださいね」の一言。酔いが一気に冷めていく。不思議なことに拳には何のダメージもなかった。

     しかし、翌日から手首の猛烈な痛みに襲われる。さすがに家の壁を殴って壊したとは、他人様に言えず、「ちょっとつまずいて変な手つきかたをしてしまって」などという苦しい言い訳をしながら、湿布をしていたのだが二週間経ってもいっこうによくならない。

     たまりかねて整形外科を受診してレントゲン画像を見せられた。「別に骨折はしてないんだけど、軟骨が損傷してる可能性が高いね。tfcc損傷っていうんだけど。格闘技やってる人には珍しくない」と医師は淡々と説明する。「とりあえずしっかり固定だね。だめなら手術かな・・・」。確かに私が悪かったけど、そんなに簡単に言わないでくれ。

     それにしても人間の手というものは不思議な作りになっているらしく、こぶしはとっても硬いのにそれ以外の部分はめっぽう弱くできているらしい。ふと昔読んだ沢木耕太郎さんのノンフィクション「テロルの決算」の中に「ノーマンズランド」という言葉があったのを思い出した。

    てのひらから続く指の中央までの腱の部分はとても繊細で、傷をつけると手指が動かなくなる、すなわち誰も立ち入ってはならない領域=No man’s land と呼ばれているという。 こぶしとてのひらは表裏一体の組織であるが、繊細な部分をガードするために実はとびきりこぶしは硬くできているのかもしれない。だからこそ、そのこぶしを開いたときこそは他者を受け入れる、すなわち「こころを開いた」サインになりうるのだ。

  • 我が家のオオカミ王 ロボ

    小学校3年生のとき、我が家で犬を飼うことになった。おやじの鶴の一声で犬種はオスのアイヌ犬と決まった。なんでも元々はアイヌの人たちが猟のときに連れて歩く犬で、とても勇敢だという。図鑑で調べてみると、北海道の厳しい冬にも耐えられるようビロードのような毛でびっしり覆われていて、耳は三角にピンと立っていてしっぽはくるりと巻き上がっている。

     人間には簡単になつきにくいが、恐ろしくかしこい・・・・・・という話をきいた私はなんとなく名前は「ロボ」がいい、と言い出した。当時、私はシートン動物記を読んでいて、たまたま「オオカミ王ロボ」を知っていたのだろう。家族は誰も反対しなかった。父も母も、兄も元々無頓着なタチなのだ。

     ロボは車でやってきた。名前に似つかわしくなく弱々しく、途中の車内でひどく車酔いして吐いた。生後まだ2か月しか経っていないせいもあるのか、からだは小さく丸っこく、目はくりくりしている。わんわん吠えるというよりは、くーん、くーんと甘えるような声だ。まだ母親が恋しい年ごろなのだろう。

     ロボの犬小屋は割と立派なものであった。木製でなく鉄製で、まだ小柄なロボにはいささか大げさなようにみえる。成犬するとアイヌ犬は中型犬に属するし、力も強いですよ、というペットショップのセールストークにまんまと乗った父は「まあ、家はさ、ちょっと大きめのほうが快適だろっ」と妙な言い訳を口にしていた。

     アイヌ犬は人間になつきにくいという説にロボはあてはまらなかったと思う。結局一番世話をしていた母はもちろん、こどもの私や兄、そして父の言いつけもよくきいたし、とても利口で無駄吠えをした記憶もない。賢くとても寡黙な印象がある。

     その日、私と兄は庭でキャッチボールをしていた。いつも使っていた軟式ボールが見当たらず、しかたなく玄関に飾ってあった王選手のサインボールを使っていた。ふだんは使わない硬式ボールである。たまたまだろう。兄が投げた球が少し私のグローブの右側に逸れた。

     わたしはボールを一瞬、見失った。同時に後ろでロボの悲鳴に似た鳴き声がする。「きゃーん、きゃん、きゃん・・・・・・」ロボは泣きつつづけたまま縁の下に入ってしまった。

     そのときなぜおやじがタイミングよくロボを放し、兄の球が逸れ、それを私が取り損ね、ロボの頭に命中したのかはわからない。偶然の事故なのだろう。しかし、母はけっして私たちを許そうとしなかった。当然だろう。一番愛情を注いでいたのだから。  三週間後、ロボは帰らぬ犬となった。死因は頭蓋骨陥没。獣医の診断によれば幼犬のため頭の骨が柔らかかかったという。硬球も致命的だったらしい。

  • ポスティング道

    ポスティング道

    事業所オープンの告知のため作成したチラシが届いた。私にとって本格的なポスティング
    は初めての経験だ。初日、大量のチラシを抱えて事務所を出る矢先、ベテランスタッフの
    Aさんが一言「バンドエイド巻いとけよ・・・」といいながら、自分の中指と薬指の真ん
    中にバンドエイドを巻き付けている。
    「ふたのあるポストはさ。ちゃんと中まで押し込まないとダメだぞ。はみ出でちゃ、うま
    くない。200枚も入れれば拳側の指の皮がむけてきちまうもんだが、これで完璧だ」
    そういうものかな・・・と思いながら、Aさんから受け取ったバンドエイドを私はチノパ
    ンのポケットにねじ込んだ。
     ポスティング開始後三日目、たまたまAさんと同行することになった。場所は都内の巨
    大な団地。一棟あたり集合ポストが軽く200戸は並んでいる。「ぼちぼち始めるか
    ・・・俺は左からやるから、〇〇君は右からやってくれ」というなり、Aさんは左手に大
    量のチラシを握りしめると、ポストの前に仁王立ちになった。
     同時に「スコッ、スコッ、スコッ・・・」という、何かが金属に当たるような高い音が
    響き始める。「スコン」ではない。「ン」がないのだ。遅れをと取るまいと私も始めたが
    「バタン、バタン」という音しか出ない。不思議に思いAさんを横目でみると、チラシを
    持った手でポストに向かって恐ろしい速さで突きを放ち、またチラシを取り、突くという
    格闘家の秘密練習のような動きをしている。
     これはもはや単なるポスティングではないーー「ポスティング道」だ。それにしても昼
    下がりの集合住宅のポストの前でおっさん二人がポストを前に格闘している姿は、はた目
    にはどう映るのだろう。人通りもまばらな集合ポストの前で金属を打つ音だけが響きわた
    る。
     勝負はあっけなく終わった。「いくつだった?俺は140だ」。Aさんは息ひとつ乱れ
    ていない。
    70とダブルスコアの大差をつけられていた。思わず「すげー、速すぎる・・・」私はた
    め息をついた。
    「こんなもん慣れだよ、慣れ」と軽くAさんは言いはなったが、私にはそういう未来が到来
    するとは到底思えない。「たまにさ、ふたが開かないポストがあるだろ。突き指しそうに
    なるんだよ」。Aさんはもう65歳を過ぎていると聞いているが、まるでこどものような
    笑顔である。
    いずれにせよ、チラシ配布ってずいぶん大変なんだよな・・・これからは自分の家のチラ
    シも一気にゴミ箱に捨てないようにしよう。配る人は滑稽なくらい必死だったりするから