投稿者: kobushi_mizue

  • ふわりと浮上

    普段何気なく人と話していて自分の変化に気づいたことはありますか?
    悩んでいる人に相談を受けたり、黙って話を聞いてあげたりと・・・
    とかく自分と比べてしまったり、自分の経験に当てはめてしまったりしがちですが

    自分では適切なアドバイスをしてあげれていないと思いながらも、相手の方は十分気持ちが楽になっていることがよくあるんです。
    それは貴方自身がまさに当事者の時、悩み、よく考え、苦しんできたからなのです
    自分では気づかないうちに知らず知らずに経験値がアップしていたんですね
    今はつらくても、自分がふわりと浮き上がれた感じを覚える日が必ずやってきますよ

    それはね・・自分でそっと感じていてくれればいいんです。
    泉谷しげるの春夏秋冬の歌詞にもこんな一節があります。
    「隣を横目で覗き自分の道を確かめる、また一つずるくなった当分照れ笑いが続く」
    この一節は4番の歌詞で、10代の頃にはこの詩に気づいていませんでした。
    悩み続けて苦しかった20代の終わり頃に初めて知って以来、大切な曲の一つになりました
    また、この歌はさらにこう綴られています。
    「今日ですべてが終わるさ」
    「今日ですべてが変わる」
    「今日ですべてが報われる」
    「今日ですべてが始まるさ」
    機会があればぜひ一度フルコーラスで聴いてみてください・・・・・・・・・・・・・・。

  • 絶望名人カフカの不思議な魅力

    若者の間で、フランツ・カフカがジワリと人気なんだとかっていう話を聞いたことがあります。

    「えー、そうなの!?」と私はちょっと驚いたのですが、若い人も疲れているということなのでしょうか。

    フランツ・カフカは、ユダヤ人の作家で、有名な作品に『変身』というのがあります。

    以前に読んだことがありますが、ものすごいへんてこりんな話です。

    主人公がある朝目覚めると、突然巨大な虫になっているのです。それなのに、周りのありふれた日常は淡々と営まれていくというような話です。

    なんともわけのわからない、絶望的なストーリーです。

    今回は、そんなカフカの名言集を紹介したいと思います。

    『絶望名人カフカの人生論』編訳:頭木弘樹 飛鳥新社

    カフカの言葉は、本当にネガティブなものばかりなのですが、心がつらいときに本当に必要なのはつらい気持ちに寄り添ってくれるような言葉ではないか、と編訳者の頭木さんは言っています。カフカは絶望の名人で、あまりにネガティブすぎてかえって笑えてくるというのです。しかしその絶望の言葉には、不思議な魅力と力があり、読んでいてつられて落ち込むというよりは、かえって力がわいてくるのだそうです。

    この本に載っているカフカの名言をいくつか紹介してみます。

    なんと、これはカフカが結婚を申し込んでいた女性に向けて書いたラブレターの一節なんだそうです。普通、こんなこと書きませんよね。でも相手の女性は、カフカと婚約をすることになるのだそうです。実際に結婚はしなかったのですが。

    これも、同じ女性に向けた手紙の中の一節です。

    ベッドの心地よさよりも、落ちる心配のない硬い床のほうがカフカにとっては良いのでしょうか・・・

    でも確かに、こうして読んでみると、共感できるような気がしてきます。

    同じ頭木さんの編訳でもう一冊、ポジティブなゲーテとネガティブなカフカを対比させている本があります。

    『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決』 草思社文庫

    カフカとゲーテ、どちらに共感できるでしょうか?

    興味があったら、ぜひ読んでみてください。

  • 自律神経を整えましょう!

    規則な生活をしたり、ストレスがたまったり、あるいは季節の変わり目とか、なんだか調子がわるいなあと感じることがありますよね。

    すべてではありませんが、自律神経の乱れかもしれません。

    自律神経は主に内蔵をつかさどる神経です。

    この神経が厄介なのは、運動神経みたいに、自分の意志で動かすことができないということです。

    例えば、胃を働かせてみようと思ってもできないし、汗をかきたくないから止めようなんて思ってもできませんよね。

    これらは自律神経によって制御されています。

    自律神経には交感神経と副交感神経があり、それぞれアクセルとブレーキみたいな役割を果たしているのだそうです。

    交感神経は緊張、副交感神経はリラックス、それが場面に応じてスムーズに切り替えられることが大切なのです。それで身体のバランスが保たれるのですね。

    かし、不規則な生活をしていたりストレスなんかがたまると、この切り替えがうまくいかなくなるわけです。

    自律神経のバランスが乱れると、本当に様々な症状が出ます。

    身体中を支配しているのですね。

    頭痛、めまい、発汗、だるさ、胃腸症状などをはじめとして、のどが詰まったような感じがするとか、なかには、皮膚の感覚がなくなる、などといった不思議な症状を訴える方もきいたことがあります。

    こうなると、本当に何にもしたくなくなってしまいますよね。

    自律神経を整えるために有効とされていることはいくつかあります。

    なるべく決まった時間に起きて、朝日を浴びること

    朝ご飯をきちんと食べること

    適度な運動をすること

    ぬるめのお風呂にゆっくりつかること

    こまめに気分転換して、ストレスをためないこと

    などなどです。

    こうしたことは、日ごろから気を付けて習慣にできると良いのですが、なかなか思うようにいきませんよね。

    健康は大切ですよね。

    身体が整うだけで、はじめの一歩が踏み出せるようになる人も結構いるように思います。

    ぶし瑞江では、ストレッチ体操やウオーキングなどをプログラムに取り入れています。

    一緒にやってみませんか?

    ちなみに、自律神経を整えるためにはバランスの良い食事が良いのですが、手っ取り早くて一番よい食べ物はバナナ🍌だそうです。

    嫌いでなければ、朝食やおやつにいかがでしょうか?

  • 都市の落とし子

    もう30年近く前の話になるだろうか、サラリーマンに嫌気がさして3年ほど続けた仕事を辞めた僕は、求人誌を血眼になってめくっていた。さしたるキャリアも資格もなければ、特別しゃべりが得意なわけでもない。会社をあっさり辞めたはいいが、どうやって食っていくか・・・さて困った。

    たまたまある求人広告が目に止まった。「月収50万円以上可能、資格:自動二輪車免許(中型以上)・・・」。もしかしたら、これは世にいうバイク便の求人ではなかろうか。僕の住んでいる埼玉県にもあったのか。

    僕は当時オフロードバイクに乗っていて、夜中に一人で林道にいくのが趣味らしい趣味といえば趣味だった。まあ、バイクに乗るのは嫌いじゃないクチなのだ。もちろんそれが仕事となればまた別なんだろうけれど、やってみるのも悪くないか・・・

    軽い気持ちで履歴書を持ってその会社に行ってみた。社長と思しき人は、僕と同年配なのだが、茶髪で短パンをはいていて、見た目は完全にヤンキーである。もらった名刺には「有限会社○○○○○ 代表取締役 ×××× と書いてある。

    「あー、面接の人ね。とりあえずさ、研修やるからさ、行ってきてくれる」と地図を渡される。地図には埼玉県南エリアに、蛍光ペンで数か所のマーキングがしてあった。「これ、地図見ないで回ってきて。急がなくていいから。きょうの研修はそれでおわり。あとさ、埼玉の地図と東京の地図買っといてね。これね」と指定の地図を見せられた。「地図も自腹か・・・まあ、仕方ないよな」ひとりごちながらしぶしぶ研修に出た。

    翌日から早速仕事に出た。基本は事務所で待機していて仕事が入ったら出かけるスタイルだ。メンバーはたったの5人。電話が鳴るたびに交代で出かけるのだが、どうゆう仕事が入るかは時の運としかいいようがない。近距離ばかりの日もあれば、都内を4往復したり、ロングといわれる福島、静岡あたりまでの仕事が入るときある。当時のバイク便の給料は純粋に距離計算で決まるので、当然みんなロングの仕事が入ればラッキーなのだ。

    しかし、たとえ、一日2万円稼げる日があったとしても、それが毎日続くわけではない。完全歩合制で、かつ運に頼るしかない。しかも、社会保険の類は一切ない。当然労災さえない。万が一事故を起こせば休業補償があるわけでもない。働いている子たちの中には10代もいた。個人事業主とアルバイトの区別さえついていない。自分たちは本来、確定申告が必要な個人事業主であることをまったく理解していなかったのだ。

    仕事は実にシンプルである。A地点からB地点までいかに早く荷物を運ぶか・・・交通法規を遵守していては商売あがったりである。首都高をはじめ都内の幹線道路は巨大な駐車場と化する時間帯がある。すり抜けすり抜け・・・またすり抜けの連続。時間との闘いだ。バイク便のライダーは自らの命を削って走り続けるのだ。ゆがんだ都市の交通事情の落とし子。しかし、ライダー当人たちにその危機意識は極端に薄い。

    自分が大きな事故に巻き込まれるまでは。

    あれから30年。IT社会の到来で現物を急いで運ぶ必要性がなくなった業界がある反面、ネット通販の急激な拡大で膨張し続ける物流事情もある。果たして、現場の事情は変わったのだろうか。物流の末端にあるバイク便ライダーの待遇が改善されることを、僕は切に切に望んでいる・・・。

  • ケセラセラ

    今日は音楽のお話です。

    最近のマイブームの曲を紹介したいなあと思います。

    Mrs. GREEN APPLEの『ケセラセラという曲です。

    晩御飯の支度をする時、キッチンに大音量でこの曲をかけて、元気をもらっています。

    この曲は、“日曜日の夜ぐらいは…”という、ちょっと前にやっていたドラマの主題歌になっていました。

    このドラマの主人公は、ほんとに不運な境遇の女の子で、どうせこの人生から逃れられないのだからとあきらめて、淡々とつまらない日々を送っています。楽しいことをしたり夢を持ったりしても、きっとそれはすぐに消えてしまう、変に期待するくらいなら初めからそんなものないほうがいいと考えて、友達も作らないようにしていました。

    でも、ひょんなことから、同じような不運を背負った二人の女の子と出会って、お互いを支えあいながら、いつしか、こんな境遇のままでも夢に向かってよいのだと思えるようになる、といったストーリーです。

    『ケセラセラ』という曲は、このドラマをそのまま歌にしたみたいな曲なんです。

    明るくて、ご機嫌な感じの曲なんですが、なんとニーチェの永遠回帰のことをうたっているんですよ!

    人生のあらゆるものは永遠に繰り返されるのです。どんなに忘れたいことも、いやなことも。これを受け入れられるかどうかが、人間を強者と弱者に分けるのだそうで、ニーチェのいう『超人』は、これを受け入れた人です。

    つらいことがずっと繰り返されるなら逃げだしたくなりますが、いやはや、誰かと比べたりせず、自分の人生にぐっと集中してどんとこい、できることやってやろうじゃないか!と思えるようになる、ということなんじゃないかと私は解釈しています。

    『ケセラセラ』の歌詞のなかで、主人公は自分のことを、“悲劇の図鑑”と言っているのに、最後に“また生まれ変わるならまた私だね”と言っています。

    自分の人生の(あるじ)としての自覚ですよね。

    奥の深い人生の応援歌なのです💛

    もし、機会があったら皆さんも聴いてみてくださいね。

    ちなみに、永遠回帰のことは、ニーチェの『ツァラトゥストラ』という著書に記されているのですが、とても難解ですので、わかりやすく解説してくれている本がおすすめです。

    興味のある方はこちらをどうぞ。 

    西 研著『ツァラトゥストラ ニーチェ』  NHK出版

  • 夏の特別企画 ~私の好きな沖縄の離島~

    まだまだ暑い日が続いていますが、皆様は夏バテなどしていないですか?

    私は夏が大好きなんですが、そんな私でも疲れてきちゃうくらい、今年の夏の暑さはこたえますね。

    私は海が大好きで、毎年夏になるといろんな海に出かけていました。

    マリンスポーツや釣りなんかもやりはしますが、そういうことをしたいというよりは、ただただ海のそばにいて、海を感じていられれば、それだけでいいのです。

    ぽかんと一日中海を見ていられるのなら、それで十分です。

    そんな私が忘れられない景色を、今日は紹介したいと思います。

    小浜島

    6年ほど前に行った沖縄の2つの離島です。

    石垣島の近くにある小さな島で、自転車で一周できます。
    のどかなサトウキビ畑のわきの道を自転車で走り抜けると、美しい海が広がり

    ます。

    夢みたいに美しい景色でした💛
    海の中にはきれいな魚がいっぱい泳いでいます。

    与那国島

    日本の最西端と言われる島ですが、ここで見た景色は、本当にこの世のものとは思えないほど美しかったです。

    馬が自然にその辺に暮らしています。

    与那国の海は美しく、かつワイルドな感じ。

    美しい景色は目の保養になりますよね。

    私もまた、行きたくなってしまいました。

    見たものは写真に残すことができますが、でもやはり、実際に見るのとは違います。

    私もここで見た景色は、心の中にしっかり残っていて、日常生活でいやになってしまったときによく思い出して癒されています。

    皆さんも、心に焼き付いている風景ってありますか?

  • ミラーニューロン

    然ですが、人の脳には“ミラーニューロン”なるものが存在するそうです。

    聞いたことあるでしょうか?

    “ミラー”とはもちろん鏡のことですから、そっくり映す機能を持った神経細胞ということになります。

    私も難しい生理学のことはよくわかりませんが、例えば、自分が物を掴むという動作をするときに活動する脳の部位は、誰かが同じ動作をするのを観察しているだけでも、同じように活動するのだそうです。

    これは、動作だけでなく感情にも当てはまるそうで、例えば映画を見れば、登場人物と同じように悲しんだり喜んだりしていますよね。

    こうしたニューロン活動をミラーニューロンシステムというそうです。

    共感ニューロン”なんて呼ばれたりもします。

    ミラーニューロンは、はじめはサルの脳で見つかったそうですが、今では人や鳥、ラットなどでも見つかっているそうです。

    この機能のお陰で、人はだれかと心を通わせたり、あるいは人の行動を予測したりすることができるのです。

    閉症のミラーニューロン仮説というのがあります。

    自閉症スペクトラムの人たちの特徴とされる社会的コミュニケーションやイマジネーションの苦手さは、このミラーニューロンシステムがうまく働かないせいで起こっているのではないか、というのです。

    でもここで大事なのは、ミラーニューロンがそもそも存在しないとか、あったとしても全く使いものにならないとかいうことではなく、活性化が弱いということだそうですから、そこを鍛えていけば少しずつは活性化されていくのです。

    かしながら、このミラーニューロンが必要以上に活性化しているみたいな人もいますよね。

    簡単にいろんな人の気持ちわかっちゃうのもどうかなあと思います。

    誰かと感情共有して、共鳴する感じってとても素敵ですけど、でもだれかの気持ちってその人のもので、ほかの人にはそんなに簡単にわかるものではないですよね。

    わからないっていう前提だからこそ、わかろうとするわけで、簡単にわかった気になっちゃいけないと思うんです。

    だから、ミラーニューロンは、ゆっくり育てていけばいい。

    わからないから、わかろうとできるのです

  • 海の魚が生きる場所

    「海の魚はみんな、自分が息をしやすい場所を選んで暮らしている。我々人間も、息のしやすい場所を選んで暮らしていけばいい。」

    昨年、某所で支援実習を行った際に出会った方が、こんなようなことを言っていたなあと、最近なぜか思い出します。

    深いところが好きな魚もいれば、浅いところが好きな魚もいる。あったかい海が暮らしやすい魚もいれば、寒い海でないと弱ってしまう魚もいる。

    魚は、誰に気を遣うこともなく、自分の好きな海域で、心地よい水深を選んで暮らしています。

    でも人間というものは、息のしにくい場所で必死に頑張って弱ってしまったりする。楽な場所に移動すればいいのに、周りに気を使ってみたり、あるいはそこで頑張ることにこだわってみたり、そこじゃなきゃダだめなような気がしてみたり。

    人間は本当に面倒くさいですね。

    けれども、結局、選ぶのは自分なんですよね。

    息のしやすい場所に移るもよし、いや、疲れてしまうことが分かっていても、そこにいたいならそれもよし。

    ただ、私の経験のお話をすると、一生懸命努力しても全く評価されずにかなり落ち込んでいたのに、職場を変えたとたん評価してもらえたということがあります。

    私のやっていること自体は何一つ変わらないのに、です。

    なぜでしょうか?

    職場の求めるものと、自分の持っているものが合致したということなのかもしれません。

    でも、不思議ですよね。同じ職種ですし、やっていることは変わらないのに。

    自分の息のしやすい場所っていうことなのかなと思います。

    そういう場所で働いていると、幸せな気持ちになります。

    たとえそれが一流企業でなくても、やりたい業務内容と少し違っていたとしても、自分が評価してもらえると、うれしい気持ちになります。

    そして、心がとても楽になります。 選ぶのは自分ですが、どうせなら心穏やかに、海の魚みたいに自然体で過ごしたいですよね。

  • 相田みつを美術館

    相田みつをは有名な書家で、たくさんの名言を、独特の書体で表現しています。

    私の旦那様は相田みつをが大好きで、うちのトイレには、相田みつをの名言の額がずっとかけてあります。

    東京駅に、相田みつを美術館というのがあるのですが、先日ついにそこに連れていかれました。

    私は書道とか、名言とか、あまり興味がなかったので誘われてもずっと断り続けていたのですが。

    でも、思ったより良くて、いろんな言葉が心にしみました

    今日は、勝手に、私の心にしみた名言ランキングトップ3を紹介したいと思います。

    多少変てこりんでもいいんですよね。自分の道。

    自分のものであることが大切です。

    せっかく生まれてきたのだから。

    人は苦しい時を過ごすことによって、自分を確固たるものに育てていくのですね。 焦らず、自分と向き合う時間も大切なのかもしれません。

     美術館でこれを見た時、これと同じようなことを子どもが言っていたのを思い出しました。私の子どもは、小さなころ大病を患って大変な目にあいました。ずっとそのことが尾を引いて、楽しそうにしている人を見ると、うらやましいな、自分とは違うなと思っていたそうです。でも、大きくなって、いろんな人と話をしてみると、みんな人知れず苦しいこともちゃんと背負っていて、自分だけじゃないんだと嬉しくなったそうです。

    私もそれを聞いてうれしくなりました。

    そうですよね、楽しいだけの人なんて、いません。

    これ以外にも、美術館には相田みつをの名言がいっぱい展示されています。
    自分に合った名言を探してみるのもいいかもしれませんね。

  • 福祉文化

    私の子どもは、「福祉」という言葉が嫌いだと言います。

    胡散臭くて偽善的、そんなイメージのようです。

    そんなふうに感じる年頃なのか、いやはやひねくれ者なのか。

    でも同じように思っている人も少なくないのかもしれませんね。

    以前、高齢者の施設で働いたときに、「福祉の世話にはなりたくない!」と言っている方がいたのを思い出します。

     

    「福祉」って、本当はどういうものなんでしょうか。

    実は私も、曖昧にしか把握していませんでしたが、結構奥の深いもののようです。

    「福祉」という言葉の本来の意味は“幸福”とか“幸せ”ということだそうです。

    辞書を引くと、本当にそう書いてあります。

    では、人の幸せってなんだろう?

    アブラハム・マズローはこう言っているそうです。

    「人間の真の幸せを考えた時に、究極的には自己実現である」

    誰のものでもない、誰とも比べられない、自分の価値観が達成される感じでしょうか。

    また、社会福祉学者の一番ケ瀬康子は、「福祉文化」という言葉をよく用いています。

    “文化(culture)”のラテン語の語源は、“耕す”という意味だそうです。

    したがって福祉文化とは、自己実現の為に環境に働きかけていくこと、自己実現のための土壌を整えていくありさま、といったところでしょうか。

    100人いれば100個の固有の土壌があって、育つ作物も皆違います。

    でも、隣の土地に人手が足りなければ、耕すのを手伝うのは自然なことですよね。

    こうとらえれば、福祉文化はすべての人のためのものです。

    僕という人間

    僕は僕に「障害」があると

    思っていなかった

    僕は僕が生きにくい世の中に

    障害があると思っていた

    でも、人は僕のことを

    「障害」のある人と言う

    僕は僕自身だけれど

    「障害」ではない

    一番ケ瀬康子は著書の中でこの詩を紹介し、こう述べています。

    「1人の人間が幸福を求め自己実現をめざしても、それが社会によって妨げられているところに問題がある」

    こぶし瑞江も福祉事業所です。

    皆さんの自己実現の土壌を、一緒に耕していく場所です。

    ぜひぜひ一緒に、耕してはみませんか?

    参考文献:一番ケ瀬康子編 『福祉文化論』、1997、有斐閣ブックス